ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

台風10号が抜けてった!

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 台風、大変でしたね。というか、まあ、私たちはそんなに影響を受けなかったようなものだけれど、これから、ずっと強風・暴風・大雨、いろんな被害がやってくるのを避けて生きていかなくてはなりません。

 

 大変ですね。

 

 短歌どころではないです。でも、何か落ち着いて自分の作品作りをして行けたらいいなあ。ちゃんとできるかな。

 

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★ 長らくサボってました。

 

その間に、新しい台風が、いよいよ直撃になりそうです。大きくない方がいいけど、近頃は大型化しているから、何だか心配です。(2020.9.22 18:25pm)

 

あれ、サザエさんは? 今日は火曜日だったのか。曜日の感覚、なくなるね! 

 

台風10号、鹿児島の西へ

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 今、9月6日の16時過ぎです。しばらく前から横殴りの雨になりました。今朝からずっとそうで、斜めの雨かと思ったら、カーッと晴れるし、ムシムシするイヤな天気です。

 

 もうすごく遠いところにある台風なのに、ずっと影響を受けています。昨日の夜、20時ころは星がいくつも見えてたんですよ。ただ、サギが低く飛んでいたり、東の方の空で稲光が見えたり、雷もあるかもなとは思っていたけれど、その雲がわざわざ西に進んできたんだろうか。

 

 確かに、南東の風ではあるので、東から西に雨雲が来てもいいのかもしれないけれど、奄美大島あたりにいる台風が、三重県でも大雨・ヒステリック雨をもたらすなんて、何だか不思議です。

 

 私たちの世界は、何らかの形でつながっているというのは知ってたけれど、お天気もそれぞれに影響し合って、あれこれと変化していくものらしい。そうだったのか、知らなかった。まだまだ修行が足りないです。もっと空のあれこれ、知らないといけないですね。

 

 明日も雨というけれど、明日もこんなふうにものすごく降ったり、ものすごく晴れたりするのかな。落ち着かないというか、何だか困っちゃうね。

不思議なケーキ

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 昨日、東京・大阪・フランスと、あちらこちらで修業してきた卒業生がお店を持ったそうで、そこのケーキを買ってきて食べました。

 

 田舎なのに、五百円越えは当たり前だそうで、何だかビックリでした。

 

 もちろん、おいしかったけれど、チョコレートケーキではなくて、軽い感じの基本的なフルーツ系のケーキにしようと思って選んだけれど、この黒紫の硬いものは何だろう。……そういや、弟の新しいクルマも黒紫、彼はもう何十年も黒紫、変ですね。ボクはそんなの好きではありませんけど、ケーキなら、まあいいかとこれにしたんでしたっけ。

 

 やたら硬くて弾力性があって、食べたら何かのブドウでした。このブドウ、何という名前なんだか、そんなことも分からないのに、とにかく食べたんですね。

 

 みどりのものは? キーウイーだったかな? よくわからんままに食べましたよ。何やら果物の切れっばしが入ってたけど、よくわからんままに食べてた。値段のこともあるし、「とにかくおいしい」と思うことにしたんだろうな。

 

 いや、おいしかったけど、リピーターらしきお客さんもいたけれど、食べなれないせいか、よくわからないままの「おいしい」でしたね。

 

 店員さんに、お洒落なオバサンがいて、卒業生のお母さんかなと思ったんですけど、なんとK先生で、ご退職されて、こちらでお勤めされてるということでした。すっかり女店主みたいでおもしろかった。

 

 店名がもう少しわかりやすかったらいいのに、インスピレーションのフランス語読みだなんて、何だかもどかしかった。

 

夏の終わりに

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 少しだけ涼しくなってきたので、「ひかりかがよう」白猪山も、夕暮れがキレイになってきました。

 

 私は今、そういう夕暮れには帰宅しています。

 

 音楽は、昨日はバレエ音楽の「三角帽子」というのを聞いて帰りました。なかなかオッサンでしょ! 若い人には、何言ってんだか、何聞いてんだか、というところですけど、とても楽しい。

 

 といっても、これは最近のブームなだけで、一年くらい前なら、ちっとも面白いと思わなかったでしょう。人って、突然変わったりするようです。怖いくらいです。

 

 暑いし、打ち込んだものを貼り付けるだけで、何だかつまらないと思ってたブログも、昔の作品集を見ていると、急に人恋しくなって、ああ、あの子らみんなこと書いてた。こんな風にナツが終わってく。そう思うと、やたら何かを書きたくなります。

 

 でも、現実には何も書けなくて、ひとりでモンモンとします。

 

 そうでした。十日ほど前に、あそこに行けば、彼女に会えると思った金融機関に用事でいきましたが、彼女は会議に出かけているそうで、会えなかった。それだけで目の前が真っ暗になったものでした。

 

 どうして、知り合いに会えたら、うれしいのか、その心の構造がイマイチわからないけど、私はとにかく会いたい気分で行きました。本当に会いたかったら、ちゃんと連絡するのが当たり前ですけど、気まぐれな私は突然に訪れてしまい、会えずじまいでした。まあ、いいや。いつかまた会えるでしょう。そう信じて、またこれからを過ごします。

 

 夏の終わり、ふたたび、「ひかりかがよう」ように、ブログしてみますので、みなさま、よろしくお願いします。

2020 コロナの夏

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 みなさん、お元気ですか? いかがお過ごしですか?

 

 少し収まってきたけれど、まだまだコロナの嵐は続いています。岩手県だって感染者が出たんですから、もうどこでだって、何をしていても、やられる時にはやられるんでしょう。

 

 せいぜい自衛するしか道はないようです。政府の人たちも、都道府県の知事さんたちも、有効な手立てを出せないで、ただ自粛してください。感染は自己責任ですよ。うがい薬がいいかと思ったけれど、そうでもなかったみたいですね。

 

 なんてね。みんなも、ほとんど信用してなかったと思うけれど、今の世の中では頼れるのは家族と、友だちと、知り合いと、仕事仲間と、それくらいしかありません。

 

 他の人は、みんなと関わりがないので、他人がどうなろうとそんなことは知らないという人たちだから、なるべく関わり合いを持たない方がいいのかな。

 

 ちょっと前までは違ってましたね。ついこの間のことですけど、二千万人ほどの外国人観光客が来たり、技能実習生が来たり近所に住んでたり、ライブ会場で知らない人に知り合ったり、スマホの中でいろんな人とも知り合ったり、次から次と関係が生まれ、広い人と人との空間がありましたよ。

 

 今はそんなの、あるかもしれないけど、関わりを持てなくなりました。電話やメールなら可能だけれど、同じ空間に一緒にいるということは不可能になりました。

 

 相手の人が感染していなくても、知り合った人と会ってみようかなと思ったら、ものすごく危険な橋を渡ることになるので、そんなリスクの多いことはできなくなりました。

 

 私は、もう何ヶ月も、家と仕事場の往復だけで過ごしています。新しい関係の人とは一切会っていません。さびしいけれど、それがコロナの嵐の時間を過ごす唯一の方法のようです。

 

 まだまだ続くと思われます。みんなが無事であることをお祈りしています。私も、またみなさんに会えることを楽しみにして、ボチボチ暮らしていきます。

 

 次のワールドカップまではまだ時間がありますよね。といっても、あと二年しかないのか。時間は早く過ぎていきますね。ぜひ、自衛して、家族を守って、暮らしていきましょう。

 

A Day Without Rain /Enya 2000

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 この前、うちの子のクルマに乗せてもらったら、後部座席に転がっていた私のCD、懐かしいから聞いてみました。

 

 そしたら、もう十何年前がよみがえってきた!

 

 そうです。もう十何年も聞いてなかった。たぶん、朝の読書の時間に、I先生に「四ん分くらいの、歌の入らない音楽はないか?」と依頼され、ボーカルは入っているけど、特に気にならない感じだし、だいたい四分近くにはなるし、このアルバムから、

 

 2.Wild Child 6.Flola's Secret 10.One By Oneの3曲をおススメしたんでした。ボクは特に10番がお気に入りで、今日だけでも10回くらい聞いたかもしれません。

 

 みんな、もし気が向いたら、youtubeとかでEnyaさんの動画でも見てください。音楽で高校時代の朝、蘇るかなあ。難しいかもしれないし、みんな、そんなに思い入れ無かったろうな。

 

 ものすごくぶ厚い音なんですけど、優しくて浮遊感はたっぷりあります。

 

 ボクだけ、昔にタイムスリップしていて、若いみんなは、何ということないかもしれないし、記憶さえないかもな。

 

 でも、ここからいくつか取り出してたんですよ。もう少し年食ってからでも聞いてね!

インターハイの予選 1996

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 ものすごい昔、インターハイ予選の第一回めがありました。サッカー部の顧問になったばかりの私は、だれが他の顧問なのか、試合はどこであるのか、チームにどんな人がいるのか、何もわからないまま、たぶん、だれかの後についていけばいいんだろう程度の気持ちでいました。

 

 でも、少しずつ、これはひょっとして私がみんなを連れて、何もかも取り仕切らねばならないのかもしれないと気づいたのは、いつだったのか。

 

 そして、目の前真っ暗で、とりあえず、山の奥の方まで試合に出かけました。自分の車で行けばいいのに、引率だからと電車で行ったのではないかと思います。

 

 第一、会場がどこにあるのかもわからなかったような気がします。恐ろしいことです。どうしてそんな、何もかも丸投げするなんてことができたのか、それが信じられないけど、とにかくそうだったのです。

 

 会場に行き、生徒たちはユニフォームを揃えていたから、試合はほとんど生徒任せで、後は淡々と相手チームに粉砕されるのを見ているだけでした。どうしてあんなに簡単にディフェンスが破られ、点を奪われるのか。味方はといえば、それは見事にボールがつながらず、やみくもに蹴り飛ばすだけで、何も戦略があるようには見えませんでした。ああ、とんでもないことになりました。

 

 そこから、悲惨な日々は続き、サッカー部といえば、何もできないくせに内弁慶で、学校のグラウンドではあれこれ言うくせに、いざ試合になってみると、声も出せないような、か弱い、何をやっているのかわからないチームは続きました。

 

 一年生たちは、どうしたらいいのか、どういうチームなのか、どんな環境にあるのか、自分たちを見つめていたようです。そして、彼らは次に入ってきた後輩たちと、自分たちなりのチームを作っていき、二年目の夏は、地域の大会でも大暴れしたものでした。一年でチームは変わっていった。何しろ、次の学年の子らがいろんなキャラがいたので、それなりにチームとしてはおもしろくなれたんでしょう。

 

 そして、私は12年間ずっとサッカー部の顧問をさせてもらいました。大変な時もあったけれど、振り返ってみると、あれは楽しかったし、私の年を取ってからの青春劇の一つでもあったと思われます。

 

 特に何か恋愛などしたわけではないけど、若者たちが成長していくそのそばにいさせてもらって、一緒に一喜一憂できたのが、私の30代の青春ではありました。その代わり、子どもの運動会には一回しかまともに参加できなくて、妻にも迷惑をかけたし、家族には負担でしたね。何しろずっと顧問は私一人でやらされてたんですから。走れないし、審判もできないし、声も出せないし、指示もできないし、何にもできない私でしたから。

 

 そして、高校サッカーからは遠ざかり、今はただのつまらないオヤジです。もちろん、サッカーなんてできません。でも、野球よりも好きになれました。何が面白いって、人の体が躍動するのを見ていると、それは楽しいものではあるのです。