ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

私の目標、私の祖父

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   ①私の目標・②私の祖父                  K・N

 

① 私は母をすごく尊敬している。口に出して母に言ったことは一度もないけど……。

 

 私と母は、まわりからよく性格も見た目も似ていると言われる。確かに身長も服装もよく似ていると思うけど、性格は全然ちがうと思う。母は私よりもずっと頑張り屋だし、筋が通っている。そして私よりもずっとドジだと思う。

 

 母は金曜日になると毎週、体調を崩している祖父の所へ車で出かけていく。祖父の家までは車で二時間以上はかかる。私は用事がなければ、なるべく付いていくようにしている。祖父に会いに行くためでもあるけど、本当は母が心配だったからである。

 

 祖父の家に行くと、母は祖父につきっきりで、夜もそんなに寝ていない。昼間、祖父がお昼寝をしている時、私が母のかわりに祖父の世話をしていれば、その間だけでも母はゆっくりできるのだ。それに運転をしている時、話しかけていないと寝てしまいそうなのである。でも母は、「おじいちゃんが待ってるからね」と、決して弱音をはかない。

 

 そんな母を私は誇りに思う。母みたいになれるかわからないけど、いつか母みたいな人になれたらいいなと思う。

 

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② 私は先日、母方の祖父を亡くした。小さい頃から離れて暮らしていたから、祖父との思い出というのは自分にはほとんどなかった。年に二回か三回会う「やさしいおじいちゃん」という印象だった。

 

 祖父は年末から体調をくずし始め、母はずっと実家に帰りっぱなしで祖父の看病をしていた。私は本当は母が居なくてさみしかったが、母の代わりに家の仕事をやった。

 

 冬休みに入り、私も祖父のもとへ行った。その時見た祖父は、私が知っている祖父ではないように感じた。布団に寝ている祖父は私を見るなり、「会いたかった」と涙を流してものすごい力で手を握ってきた。私はびっくりとした。祖父がこんなにも自分に会いたがっていたとは思ってもいなかった。

 

 私はその冬、初めて祖父とクリスマス、大晦日、正月を過ごした。この数日間だけで、今まで祖父と話した時間の数倍は話をすることができた。祖父も嬉しそうだったが、何よりも楽しそうに話している祖父を見るのが嬉しくて仕方なかった。

 

 冬休みがあと数日となって、私は母と一緒に家に帰った。祖父が亡くなったのは、それから一ヶ月も経っていなかった。身内の死を体験するのは、ものごころ付いてこれが初めてだった。葬式中、涙が止まらなかった。冬休み中、一緒に過ごしていなかったら、こんなにつらくはなかったと思う。

 

 今でも私は祖父を思い出すと涙が出てくる。でも辛いことではない。涙が出てくるということは、私が祖父を大切に思う何よりの証拠だから。        [2007年6月]

 

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★ 2年生の冬休み、彼女はそういう体験をしたんですね。おじいさんもお母さんも、大切な時間を過ごせたんでしょう。

 

 家族は、だれかがピンチになった時には、みんなで乗り越え、支え合い、いたわりあわなくちゃいけません。

 

 私もこの冬、改めて家族とは何か、かみしめていきたいと思います。

                   (2018.12.22 Sat 未明よりずっと雨)