まちの表情、このまちで暮らす
* 「まちの表情」 M・N
「あなたの暮らすまちってどんなまち?」と聞かれても、答えるのは難しい。それは、自分の暮らすまちをあまり知らないからじゃなく、よく知っているからである。一言でまとめるのが難しいほど、言いたい・伝えたいことがあるからだ。
それは人でも同じことだと思う。あまり知らない人を言葉で表わすより、親しい人を言葉で表わすのは難しいと思う。どんどん言葉が出てきて、まとめるのは難しい。
僕が、自分のまちをどんなまちか? と考えると、まちの特徴とともに、いろんな思い出も同時に浮かんでくる。印象深い思い出ほど、そのときの「まちの表情」が繊細に思い出せる。
小学校のころ、よく道草した坂道の草の感触や、中学校のころの部活帰り、友達との別れ道である橋の上でいつまでも喋りながら見ていた夕焼け……と、言い始めるとどんどん浮かんでくる「まちの表情」。
今も思い出の場所を通ると、少し立ち止まる。そして今も変わらない「まちの表情」を見ながら、思い出を思い返すことがよくある。生まれてからずっと暮らしているまちだから、どこへ行っても思い出がある。そうやってまちを歩きながら、いろんな場所に行っていろんなことを思い出す。
それは今までこのまちで思い出を作ったからこそできることである。だとすれば、すごく貴重でかけがえのないものなんだと思う。この作文を書きながら、思い出を思い返していると、ちょっと自分の「まちの表情」を確認したくなってきた。
これから、このまちで暮らしていくうちに、どんどんこのまちで思い出を作っていくと思う。そして、いつかその思い出を思い返すとき、やっぱり「まちの表情」は思い出される。これからどんどん自分のまちを離れることは増えると思う。でも、自分のまちに帰ってきたとき、安心できると思う。やっぱり自分が暮らすまちは、自分にとって特別なものだと思う。 [2006年5月ころ]