義務的で不自由な空間にいる
★ 働く場 あやさん
働けるということは、とてもすばらしいことだ。アルバイトをして強く思った。学校とは比べものにならない程の魅力がある。
大きく違うのは、確実な見返り、つまり給与があること。自分の行動で、誰かに利益が出たことが実感できるのだ。学校で感じる、「私がいなくても、変わらないのではないか」という虚しさを忘れさせてくれる。当たり前だが、アルバイトは急に休んだり、遅刻することはできない。連絡すれば休める学校とは違うと思う。給与分を働くという義務感、さまざまな人と出会えること、自分のかわりは少ないんだというプレッシャー、それが私をひきつけてやまない。
人に対する態度でも、学校とは立場が根本的に違う。「皆平等」という、あやふやな立ち位置はない。第一にお客様、第二は店長。順に、女将さん、板前さん、パートさん、アルバイトだ。明確に、私は一番下であることができる。これはすばらしい。上の方々の作業を考え、先読みして動くこと、出された指示は正確に行うこと、それをすれば良いのだから。
私は働いていたくて仕方がない。それは同時に、義務でなければ学生など毎日してはいない。学校が救いになることもある。しかし、ごくまれである。高校は義務ではない、そんなことは嘘だ。高校は中学より自由、それも嘘だ。私は多くの働く場に定められている「高卒であること」という資格、それを得ることを主な目的として、この席に座っている。