ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

人とかかわるお仕事・例文かな?

 

★ 人とかかわるお仕事[今までの自分、これからの自分]

 

やりたいことはたくさんあった。政治家になって、国を運営していく。新聞記者となって、日々移り変わる世の中をたくさんの人に知らせる。大切なことをいち早く伝える。テレビ局も受けた。マスコミ志望でもあった。何かの研究者になる。学校の先生になる。出版社に勤める。活字に対するあこがれがあったので、そのような希望も持っていた。

 

そして、二十二歳から教員採用試験を受けた。なかなか合格しなかった。教科の勉強も足りなかった。講師として学校に勤めていた。時間はあったが、一般教養などの勉強も足りなかった。勉強は、子どもが生まれてから、スイッチが入り、まともに勉強したかもしれない。勉強は、工夫してやろうと思えば、できるものなのだというのを実感した。

 

採用試験に合格してから何十年かが過ぎた。頑張った時もあったし、そうでない時もあった。けれども、人に向き合う仕事なので、どんな時も自分のやれることはやらなければ、結果はとんでもないことになった。人に向き合う仕事を私は何十年もやってきていた。

 

これからの自分は、はっきりとした未来は見えてはいない。働けるだけ働くということ。できれば、たくさんの人と出会い、今までできていなかったことをやりたいと思うが、人はそんなに新しい人生を切り開けるものでもない。今までの延長線上でコツコツと働くというのが、今の私に見えている未来だ。 (578字)

 
 
 

 

大切なトランペット

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君に触れる日まで待っててね


 私の大切なもの、それは生きるために必要なもの。そして……。このくだらない人間社会の中で生きるために必要な現実逃避するための材料。たとえば、それは家族でも恋人でもペットでも、あるいは自分の好きなことをできるためのものでもいい。

 

 正直、私の現実逃避するための材料は、トランペットだったり、料理だったり、実に様々なものがある。というより多ジャンルに富んでいる。

 

 昔買ったトランペット。いまでも大切に手入れをしながら保管している。気が向くと触れたくなる。自分を自由に解放させて、無我夢中に曲を吹く自分が昔のことのように思い、悲しくなり、よく吹いていた曲や最近気になった曲のメロディーとともに音を音階でうたう。気がつくとマウスピースを取り出し吹いている。

 

 ふと思い描くのは「あの青空の見えるあの場所で誰にも邪魔されずに吹きたい。」

 

 そんなことが叶うはずもない生活をしている私だが、一つの野望としている。

 

 「またあの解放感を求めて、あの大切なトランペットを青空で優しい風が吹く日に、大切な時を作り出すために吹こう。」
 トランペットの与えてくれる解放感と少しの緊張感、これはまさに快感……。
 それはとても心地よくずっとその快感に溺れていたい……。

 

 ダケド、戻らなくてはならない。
 いや、戻らないと駄目なんだ。
 なぜかって? それは楽しむための苦い良薬だから……。
 だから、もう少し待っててね? もっとこの嫌な現実と向き合ってから楽しみたいの。

 そして……。「もし、その時が来たらよろしくね! 私の大切なトランペット。」

三つの大切なもの

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★  私の大切なもの               男子   


 私の大切なものはたくさんあります。

 

 一つめは、家で飼っている亀です。なぜなら、見ているとおもしろいし、心がなごんだりするからです。水を換えたりするのは大変ですが、体が大きくなってくると、とてもうれしいです。まだ、これからも大きくなってくると思うし、僕も頑張って育てるし、亀も長生きしてほしいと思います。

 

 二つめは、今使っている自転車です。これは、僕が中学へ入学する前に買ってもらったからです。中学では三年間でパンクが一度だけあっただけで、立派に動いてくれました。高校生の今でも、動いてくれています。最近パンクをしてしまいました。今後は、気をつけようと思います。あと、一年半くらい使うと思うので、なるべく壊さないようにしていこうと思います。

 

 三つめは、目覚まし時計です。これは、今でも朝起きる前に使っているからです。学校へ行く時や何か行事で早く起きるのに役に立ちます。その時計もかなり古くなっているので、長持ちするように大切にしようと思います。

 

 

★ わりとシンプルなもの、身のまわりのものをサラッと大切だと言い切りましたね。もっと大切なものもあるかもしれないけど、とりあえず、思いついたものを上げていく。これは鉄則ですね。

 

 読み返してみて、いや、他にもあったと思えたら、自分というものを見直しできたということじゃないですか。そういうこと、何度もやっていきたいですね。

大切なパートナー

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★  私の大切なもの

 私の大切なものは、特にない。それはなぜかというと、私の大切な……として多い回答が、家族、友人などきれいごとにしか聞こえてこないし、お金とかが出てくると、人間性を見るような質問としか思えないのだ。

 

 そう考えてみると、私の大切なものって、何なのだろう、と改めて頭を抱えることになる。

 

 私にとって、いつも心が許せる、そんな存在、それは猫である。私が生まれてから十六年間、我が家にいた歴代の猫は四匹、私が幼い頃にいた猫は、少しこわくて、きばをむく姿に私はおびえていたが、こっちが怖がらなかったら、向こうも怖がらないんだと、年齢を重ねるごとに分かり、次第に仲良くなれた。

 

 クールな子、甘えん坊の子、いろいろいたけれど、どの子もその時の私の一番のパートナーだった。でも、本当のところ、向こうは私のことをどう思っていたのかわからないけれど、何も言わない彼らだから、そばにいてくれる限りずっとうざくは思っていない、と思いたい。

 

 家を出る時、帰る時、寄り添って来てくれる君は、生きている限り、私のそばの大切なパートナー。

 

義務的で不自由な空間にいる

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★  働く場                   あやさん


 働けるということは、とてもすばらしいことだ。アルバイトをして強く思った。学校とは比べものにならない程の魅力がある。

 

 大きく違うのは、確実な見返り、つまり給与があること。自分の行動で、誰かに利益が出たことが実感できるのだ。学校で感じる、「私がいなくても、変わらないのではないか」という虚しさを忘れさせてくれる。当たり前だが、アルバイトは急に休んだり、遅刻することはできない。連絡すれば休める学校とは違うと思う。給与分を働くという義務感、さまざまな人と出会えること、自分のかわりは少ないんだというプレッシャー、それが私をひきつけてやまない。

 

 人に対する態度でも、学校とは立場が根本的に違う。「皆平等」という、あやふやな立ち位置はない。第一にお客様、第二は店長。順に、女将さん、板前さん、パートさん、アルバイトだ。明確に、私は一番下であることができる。これはすばらしい。上の方々の作業を考え、先読みして動くこと、出された指示は正確に行うこと、それをすれば良いのだから。

 

 私は働いていたくて仕方がない。それは同時に、義務でなければ学生など毎日してはいない。学校が救いになることもある。しかし、ごくまれである。高校は義務ではない、そんなことは嘘だ。高校は中学より自由、それも嘘だ。私は多くの働く場に定められている「高卒であること」という資格、それを得ることを主な目的として、この席に座っている。

雪景色の荷坂峠を下る!

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 荷坂峠というのは、熊野みち・国道42号線で松阪から南をめざす時に、伊勢の国の最後、度会郡大紀町から北牟婁郡紀北町に下っていく時に通らねばならないところでした。

 

 南の方にあるところです。温暖な町です。でも、今年、雪景色になった時がありました。

 

 そこをたまたま私は南に2両編成のワンマンカーで熊野市の大泊に向かっていました。

 

 三重県に住んで30何年になるんですが、このあたりの雪景色って初めてでした。この風景はずっと尾鷲あたりまで続いていました。

 

 尾鷲を過ぎたら、鉄道は海側を走るので、さすがに黒潮がすぐそばを流れている熊野市あたりには雪はなかったけれど、寒い時にたまたま私は大泊で下りて、そこから熊野古道松本峠というところを越えてみました。

 

 そして、それで結構くたびれて、へなへなになってまた電車で帰ってきましたっけ。

 

 みなさん、お元気ですか?

 

 今はもう春ですけど、とても長時間電車に乗るという気分にはなれませんでした。コロナの第七波は来ています。

 

 規制はなく、みんながどんどんコロナになっても、それは自己責任であり、ある程度は認めようというところでしょうか。どうせ、コロナになっても、熱が出るだけみたいだから、みんなで免疫を作ればいいやという考えなんでしょう。

 

 こういうこと、誰が考えているのかなあ。しんどいと思うし、できればコロナになりたくないんだけど、もう自由になってください、そう考えている人がいるみたいです。

 

 もう意地です。だれが何ていおうと、私はコロナにはなりません。ずっと閉じこもってみます。誰とも会いません。お仕事はボチボチやります。

 

 そんな四月二日の土曜日です。ああ、新年度が始まってしまったね。

 

 

地層の見える結婚写真!

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 最近気になって検索して、やっとお友だちになれた子がいます。京都で暮らしているみたいで、もう十何年も京都の人みたいでした。

 

 もう、三重の人ではないみたいでした。そこが少し残念だけど、そちらで結婚する方を見つけて、結婚式はあの「ブラタモリ」で初めて知った、伊豆大島の地層断面の横だったみたいです。

 

 すごいですね。ビックリしました。あまりにクリエイティブすぎて、私の頭ではついていけないけど、式を挙げる挙げない、そんなことより、とにかく二人がこれから歩いてこうという時に、こういう場所を選んで、「さあ、初めていこう」と気合入れてくれてるみたいで、私はうれしかった。

 

 ただもう、しあわせを祈る気持ちと、これはもう私たちでは考えも及ばないことをしてくれるんだろうなと期待もいっぱいです。

 

 どんどん好きなことをしてもらいたいなあ。

 

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 さて、彼女の2007年に書いてくれてた文章をもう一度載せて、はなむけにしましょう。ズンズン彼女突き進んでくれると思います。いつか、チャンスがあったら、会えるといいけど、そんなに簡単には無理だろうし、とにかく、期待してまっています。

 

*   このスリッパは赤だ                                
                                                         
 私が中学生の時、たくさんの出会いがあった。一番心に残っているのは、美術の先生である。

 

 私は絵を描いたり、何か物を作ることが好きで、趣味であり特技だった。はじめての美術の授業の日、私はとても楽しみにしていた。先生はひげをはやした背の低い男の先生。軽くあいさつをして授業は始まった。とりかかったものはデッサンだった。みんな初めてすることで、わからないことばかり。私もとりあえず描いてみようかというところだった。

 

 先生はデッサンを分かりやすく教えてくれた。先生が以前に描いたものを見せてくれたり、白黒だが物には色があるから、いかにその色を伝えることができるかやってみなさいと言った。モチーフは毎日履いている学校の赤いスリッパだった。私は一生懸命描いた。できるだけ忠実に、ぱっと見て「このスリッパは赤だ」と伝わるようにと思いながら。

 

 先生の採点方法は、なんと「作業量」で付けるのだ。よくある「上手」「下手」ではないのだ。作業量が多ければ多いほど点数が上がる。分かりやすいし、頑張ったらその分点数になるから、美術が苦手な子も一生懸命取り組んでいた。

 

 高校生になり、選択芸術ではもちろん美術を選んだ。また頑張ろう、と決めた。しかし、選択者全員が美術系大学をめざしているわけではないのだが、高校では採点方法がよく分からなかった。そんなことを考えていた時、ふと思い出した。それは中学校の美術の先生だった。先生は誰にでも頑張れるチャンスをくれた。

 

 私はこれから、やりたいように描こうと思う。中学校の先生から教わったことを土台に美術をやりきろう。                                       [2007年6月]