ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

小さな夢、きれいな水

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*   小さなゆめ                  M・U

 私は田舎で生まれ、田舎で育った。車はそれほど通らなかったので、空気がおいしく、自然も美しかった。それと同時に、水がすごくきれいだった。夏にはよく、家族や友だちと川に泳ぎに行った。下まで透きとおった、きれいなきれいな水だった。高校に通うため都会に越してきた今でも、時折田舎の水が恋しくなる。生まれてから十六年間、片時も離れることのなかったきれいな水。それがどれほど大きな存在だったか、今になって痛感した私だった。

 

 引っ越してきてから、私は水道の水を飲むことを禁止されてしまった。「都会の水は絶対に飲んではいけない」と母に念を押されたにも関わらず、私は一度だけ飲んでしまったことがある。コップを口に近づけた瞬間、カルキのきついにおいが私の鼻を刺した。こんな経験をしたのは初めてだった。気持ち悪くなったけれど、たまらなくのどが渇いていた私は、震える手でコップを持ち直し、一気に口に押し当てた。あの時の不快感は、今でも忘れることができない。口では言い表すことができないくらいのまずさと、鼻をつくようなにおいが一気に私に襲いかかってきた。

 

 「田舎の水は、こんなのじゃなかった」
 「まずい、まずい、まずい」
 その後、母にこっぴどく叱られたことは言うまでもない。私は都会の水を飲むことに完全にトラウマになってしまった。

 

 この時ほど田舎のきれいな水が恋しくなったときはない。この出来事があってからというもの、母が大量のミネラルウォーターを購入してきて、米を炊くときも、お茶を沸かすときも、全てこのミネラルウォーターを使いなさいと言われた。私はほっとした。あのまずい水道水で米を炊くなんて、考えただけでもぞっとする。母がミネラルウォーターを買ってきてくれてよかった。

 

 そもそも水とは、人間が生きていく上で不可欠なものなのだ。その水が近代では信じられないほど汚染されてきている。飲むことができないくらいひどく……。そんな水を変えていかなくてはならないのは私たちだと思う。

 

 私たちはこれから未来を生きてゆく。その時、水がどうしようもなく汚染されていたら、手の施しようがないくらい汚染されていたら……。そう考えると、いてもたってもいられない。私たちも困ることになるだろうけど、何より困るのは私たちの子や孫だろう。川で泳ぐこともできないし、ミネラルウォーターなしで生活していくことができないとなると、とても狭い世界で生きているような気がしてならない。

 

 私は、自分の子や孫たちに、そんな思いはさせたくない。川で自由に泳がせてやりたいし、冷たくておいしい水道水も飲ませてやりたい。私が幼い頃から当たり前にしてきたことと、同じことをさせてやりたい。これは田舎で生まれ育った私のささやかな夢でもある。この夢が実現したらどんなに幸せだろう。こんな小さな願いでも、叶ったらどんなに嬉しいだろう。この幸せ計画は私だけの夢でなく、世界中のみんなの願いかもしれない。この夢が実現するよう努力していくのは、未来を生きていく私たちなのである。私たちが世界中の水を変えていかなければならない。私は強く思った。                                         [2005年9月]

 

★ 水に関して、ものすごく恵まれたおうちと環境で育ったんですね。それくらいしっかりしたところで育っている人って、珍しいのではないかな。

 

 たいていの人は管理されたダムからの水とか、川から取ってきた水を浄化したものを飲まされていると思うんですけど、それはやはり、違うんだろうな。

 

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高速道路はやって来る!

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*   小学生のとき悔しかった事             H・K

 僕がまだ小学生で、毎日、日が沈むまで、泥まみれになるまで遊んでいた日のことです。いつものように遊び疲れて家に帰ると、両親が話をしていました。僕はいつもと違う雰囲気にも気づかずに話に加わりました。

 

 話の内容は、家の近くの山や谷を崩して、高速道路が作られるという話でした。今でも、その話を聞いた時のショックの大きさはしっかりと覚えています。でも、その頃の僕は考え方が甘く、近所の人達が反対してくれて、高速道路なんてできるわけがないと思っていました。しかし、高速道路の建設は進んでいきました。

 

 その時、偶然にも小学校の授業として、町の議員の人に、自分の言いたいことや聞きたいことを発表する機会がありました。僕は今しかないと思い、高速道路の建設について、自分のできるかぎりの考えを、勇気を出して発表しました。

 

 その意見に関して議員の人が出した答えは、僕にとって全く納得できるものではありませんでした。その時は、自分の一生懸命さが相手に伝わってないような気がして、すごく悔しかったのを覚えています。

 

 そして今、僕の家の前には高速道路が開通しています。過ぎ去った事はどうしようもありませんが、今でも昔の大好きだった山や谷、毎日のように遊んでいた自然は、昔の面影を残さずに、僕にとっては、うるさいだけの人工の山になってしまいました。

 

 今は慣れてしまって、あまり嫌とは思わなくなりました。でも、昔の写真を見ると、自分にとって大切な場所がなくなった事を実感して、悲しくなります。

 

 だから、この犠牲を人の役に立てるために、(みんなに?)考えていってほしいです。   [2006年5月ころ]

 

★ 高速道路、大規模工場、大規模施設、巨大基地などいろんなものが国家プロジェクトとしてやってきます。そういう時、地元では反対の声が上がったりします。

 

 でも、たいていはかき消されて、粛々と巨大プロジェクトは完成されていきます。すべては経済に呑み込まれ、個々の思い入れなど何の役にも立たなくなります。

 

 ああ、どうしたらいいのかな。経済は大事です。それがなくては生きてはいけない。でも、そればかりでは、そこに住む人々の思いは蹴散らされるばかりです。そんなのはつまらな記憶だから、踏みつぶされても仕方がないのだろうか。いや、その記憶をみんなが共有できたら、巨大プロジェクトも足踏みすると思うのだけれど……。

「水」に感謝

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 いろいろな事実は、頭の中からこぼれ落ちていきます。いったい、どんなニュースなら頭の中に残るのか、そこはよくはわかりませんけど、水というのは、とにかく大事というのは、これはもう知っているつもりです。

 

 でも、最近心から水を欲すること、体験していませんね。もう少し暑くなったら自然に体験するのかな。いや、それも甘っちょろい体験かも知れない。こまめに水分を取ることが言われていて、そんなに水分は切れていない気はするんですけど……

 

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*   「水」に感謝                                   N・K

 この前、私の住む地域で水道水の中に重油が含まれていた出来事がありました。私たちは、そのことを知らずに普段通りに使用していました。お風呂へ行き、扉を開けると湯気と共にすごく異臭が漂い、これは絶対おかしいと思いました。翌日になって昨日と変わらず異臭が残っていました。夕方、有線放送が流れました。やはり、昨日のことでした。

 

 そして、飲み水は禁止となり、毎日三回給水車が近くまで来てくれて、もらいに行き、その水でご飯を作る時や洗い物に使いました。洗い物を手伝っている時に、私たちはこんなに毎日水を使っているんだな、生きていく上でなくてはならないくらい大切なんだと改めて感じました。

 

 次の日に、このことが新聞に載りました。その時点では、まだ原因が解明されていませんでした。そして、二日後、新聞に重油流入したと記事が載っていました。原因は、ある工場の燃料タンクから重油が漏れ、その重油が水源地のある川に流れたことによって、水源から取水した水に油が混入し、一般家庭に行き渡ったということです。原因が分かり、三日くらい経ちだんだん異臭が消え、もとに戻ったので安心しました。

 

 まだ原因が解明されていなかった時、十一時ころ突然水道が止められたことがありました。その時間帯は、家族も起きていたので、水を使うことができないので、本当に水はかけがえのない存在で、その水が出ないとこんなに不便なことだと初めて実感しました。

 

 私は水に関して何も意識していなかった。けれど、「水は答えを知っている」という本に出会い、最近問題になっている環境汚染や、水害について新聞で読んだり、「水」について考えるようになってきました。

 

 日本は水に恵まれているが、世界では水不足に苦しむ国々がたくさんあります。特に発展途上国では、水の衛生状態が原因で、子供たちが病気でたくさん死亡しています。安全とはいえない水しか飲めない子供たちがかわいそうで、私たちにとっては考えられない出来事です。

 

 反対に、世界中で洪水に悩まされている国々があります。異常なほどに降水量が多く、予想をはるかに越すということも珍しくない世の中になってきています。日本でも、降水量の増大が原因で床下浸水や、川の増水により災害を引き起こし、人々を苦しめるということもありました。

 

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 近年、こういった災害が多発しているのはどうしてなのでしょうか。
 一つの原因として、地球温暖化が考えられます。年々、地球温暖化により世界中で、異常気象や気候変動により(地球が?)変わってきています。このままでは、世界全体が危機にさらされてしまうでしょう。最近では対策を徐々に意識する時代になりつつありますが、一人でも多くの協力者が増え、今よりもっと豊かな時代が訪れることが、私たちの今後の重要な課題であると思います。

 

 水とは、私たちにとって当たり前なことだけど、普段誰もが何気なく使っています。しかし、世界では水が貴重で飲めない人がたくさんいます。日本は、本当にありがたい国だと思います。「水」をこれからも大切に使っていきたいと思っています。水があるから、今ここで生きているのです。今、身近でできることから始めていったら、きっと水に対してのありがたさが分かってくると思います。         [2005年9月]

 

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絵本と共に生きる

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*   絵本                       K・I

 

 大切なもの、それはみんなそれぞれ異なったものがあります。友だちとか、もちろん自分も大切なものは(いっぱいありすぎて?)、何があるのか見つけられませんでした。

 大切なものは必ず一つはあるはずなのに、思いつかず悩んでいたら、ある一冊の絵本を見つけました。

 

 私が小学校高学年のころ、たぶん六年生か五年生のとき、私は『五体不満足』という本をきっかけに読書にはまりはじめました。そして自分の家の本棚を見ていたら、一冊の絵本を見つけました。私はその絵本に見覚えがあり、中を開いてみると、その絵本は、私が小さい頃、保育園児の低学年の時に、お母さんに買ってもらった初めての絵本でした。

 

 一ページ一ページめくっていくと、お母さんに読んでもらった場面とかも思い出してきたし、小さいころ自分一人では読めなかったはずなのに、今ではスラスラ読めてしまって、自分はこんなにも大きくなったんだと実感した時でもありました。

 

 今では、私はその絵本が大好きです。今の私でも読んでいて楽しく落ち着くし、小さいころの思い出の一つだからです。                         [2005年10月]

 

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★ それはもう遠い遠い体験だとしても、ずっと心に残るものでしょう。そして、自分が親になった時、同じ本で同じように読んであげたくなるでしょう。

 

 ぜひ、そうしてあげてください。少しだけあなたのテーストも入れて、あなたのご両親とあなたとで、あなたのお子さんを育ててください。すごくステキなことです。

 

 子どもは、大人になったら、親の思うようにはいかないけれど、子どもの時は、それはもう親からのいろんなものがストレートでいくでしょうからね。

 

空を見上げて

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 いつかこの作品をアップしなきゃと思っていました。文が書かれてから13年が経過しています。作者である彼女は、今は看護師さんをしているんでしょうね。卒業して12年が経つのだから、もう立派な社会人です。

 

 この空の下で活躍しているんだろうな。それとも、どこかの町へ引っ越したんだろうか。なかなか会えないし、消息はわかりません。少し残念です。

 

 でも、いいです。彼女はきっと元気にやっている、たぶん、そうだし、絶対そうだと思います。また、いつか会えるといいですね。

 

*   空を見上げて                   T・U

 

 私は小学校三年に上がる前に、父の実家のこの町に引っ越して来ました。

 前に住んでいた場所は都会ではなかったけれど、この町ほど田舎でもありませんでした。幼かった私は何不自由なくとけ込み、そして川で遊んだり、山で遊んだりしていました。学校の帰り道で草を引っこ抜いたり、祖父母の畑の手伝いをしたり、この町の自然が大好きでした。

 特に地区で開かれていた星の観測は、秋の夜に外にシートをひいて寝ながら空を見上げるひととき。寒かったけれど、建物の邪魔もなく、空一面に輝く星を眺める時が大好きでした。

 

 けれどそれは小学校まででした。中学校に上がると、その自然がとても煩(わずら)わしく感じました。今まで通っていた小学校は徒歩十五分に対して、中学校は自転車で三十分。遠いし坂も多くて、部活の後とかはとても辛くて、「なんでこんな田舎なんだろう」と思うようになっていました。

 

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 そして時は過ぎて高校一年生。今まで過ごしてきたよりずっと穏やかで、心にゆとりもできました。そして、私はよく空を見上げるようになりました。やっぱり見上げる空は昔と同じで広く一面に見えて、自転車で四十分ほどの高校までも、慣れのせいか辛くもなくて、また夜に星の観測をしたいな、なんて思うようにもなりました。

 

 最近は頻繁(ひんぱん)に空を見上げます。見上げる瞬間は不思議と穏やかで、自分の存在がとても小さく感じます。そしてこの町はほとんど変化はなくて、変わっているのは自分だと気づかされます。表情を変える空は自分のようで、眺める時間は大切です。それに気づくことができたのは、この町の環境で過ごした時間で、煩わしく思ったことも、今の気持ちへの過程でした。

 

 私はこれからもこの町と共に生きるんだと思います。きっとこの空を見上げながら。
                             [2006年6月]

 

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お父さんたちのメール

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*   父の空メール                   Y・T

 わが家にはパソコンが一台だけあって、家族共通のリビングにあります。そのパソコンでEメールをしたりしているので、パソコンがないと家族全員が困ります。

 

 私はパソコンでインターネットオークションやインターネットショッピングなどをよく利用しますが、Eメールが使えないと、落札通知などが来ないので、利用することができなくなります。

 

 父は今、名古屋にいて、空メールをよく送ってきます。何のために送ってくるのかよくわかりませんが、送れないと困ると思います。       [2006年1月]

 

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*   おとうさんのひらがなメール            H・K

 「あーまたやよ。」そう言って携帯の画面を見るお母さんを見て、私も「またか」と思った。画面に並ぶひらがな。お父さんからのメール。

 

 私の家族は、私を含めてお父さん、お母さんが携帯を持っている。中でも携帯を持って一番長いのがお父さんである。

 

 何が問題かというと、お父さんは自分が一番携帯を持って長いのに、家族の中で一番携帯を扱えないことだ。自分でマナーモードにできないこととか、挙げればきりがないのだが、一番困るのがメールの文字を変換できないこと。送る本人は平気かもしれないけれど、読む方は本当に大変なのだ。本来ならカタカナである単語がひらがなというのは読みにくい。といっても、もう何度言っても変わらないので、仕方ないとも思っている。

 

 それに最近(まで?)はうっとうしかったが、最近では普段めったに話さないお父さんと話すネタが増えて嬉しいのも本当だった。                          [2006年1月]

 

 

★ どうしてお父さんって、娘さんに嫌がられてしまうんでしょう。辛いですね。

 私は幸か不幸か(残念なのに変わりはないかな)、娘さんがいなくて、うとまれることはありません。

 

 まあ、奥さんからも、さんざんに言われているので、娘さんがいたら、それはもうボロカスだったかな。それでも、いてくれたらよかったんだけどな。

 

 春ですね。花粉はまだ飛んでいるけれど、最近は薬も飲まずにハナだけかんでいます。何をやっているんだか……。

 

私のおばあちゃん

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*   私のおばあちゃん                 Y・M

 

 私には今年で七十八歳になる祖母がいます。昔から私の母は仕事が忙しく、家にはいつも祖母と私だけがいる日がほぼ毎日でした。今は母も仕事を変え、正午からはいつも家で家事をしています。

 

 私が小さいころ、動く乗り物が大好きで、工事をしているのを見つけると、洗濯をしている祖母の袖を引っ張って、よく見に行ったそうです。

 

 三歳の時、私と祖母が窓の近くで日向ぼっこをしているときのことです。祖母が目を離しているスキに、私は窓から転落し、頭から血を出すという大けがをしてしまいました。すぐに祖母が駆け寄り処置をしてくれて、大泣きをしていた私をよしよしと慰めてくれました。

 

 高一になった今でもはっきりと覚えていますし、良い思い出です。そして今年、祖母の体調は急変し、十月頃から入院しています。命もそう長くないと医者が言っていたと母から聞きました。だから、何か恩返しがしたいと思い、祖母と話す機会を近々持ちたいと考えています。

 

 私が祖母と暮らした十五年間は、私にとっても祖母にとっても大切な思い出です。私が成人し社会人になっても、大切なものとして心の中にしまっておきたいです。                                               [2005年10月]

 

★ おばあちゃんと大切な時間があった、これは絶対に消えない本人の宝物です。ぜひずっと思い出して、何度も何度も家族に話してください。そうしてもらえると、おばあちゃんの子どもとしてもうれしいし、家族とは何か、それをかみしめることができるような気がします。どうぞ、よろしくお願いします。