ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

宝物は地元、それは海

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★  宝物であるような地元             女子  2005

 

 「このクラゲ、めっちゃプルプルしてるよ。」
 毎年、夏になると必ず地元の海に遊びに行っていた。家から歩いて約二十分ほどのところに、それほど大きくないが、地元の人たちに愛され、親しまれている海がある。

 

 私がものごころついた頃から、海にはよく遊びに行ったものだ。先生や親には「絶対に子どもだけで行ってはいけない」と、あれほど言われていたにもかかわらず、友だちと二人で、親には内緒で遊びに行った時もあった。小学校の頃は、授業が終わると、家に帰って友だちと遊ぶ場所は、海か友だちの家だった。それほど地元の海が大好きだった。

 

 小学校でも、授業でよく先生が海に連れて行ってくれた。砂浜には干からびたヒトデや海草、いろいろな大きさや色の貝殻が落ちていた。私にとって貝殻は、輝く宝石のように見えた。珍しいものが落ちていれば、拾わずにはいられなかったほど、毎回発見があり、自然と海について学べていた。

 

 夏休みの初めには、伝統行事である地元の花火大会がある。県外からもお客さんが見に来たりするほど有名で、とても活気のある祭りだ。海から近い私の家には、親戚や、少し家の離れた友だちが遊びに来る。その日の夕ごはんはいつもと違い特別で、夜中まで親戚と語るのが習慣であり、何もかもが楽しみであった。私の家が海に近いからこそ、このような楽しい想い出がたくさんできるのだと思う。

 

 中学生になってから、クラブや勉強でなかなか海に行く機会は少なくなったが、友だち関係やクラブで悩んだ時に海に行くと、不思議なくらい私の心が癒される。私の地元は田舎で、都会に憧れたことはあったが、一番地元が落ち着くし、一度も嫌いになったことがない。そんな、どこよりも誇りを持てる地元が大好きだ。

 

★ ああ、彼女はこんなことを書いてたんだ。海の近くに育ったんですね。穏やかで、なかなか思っていることを話してくれない子だったけれど、鉄の意志を持っていて、着実に物事を進めていく強さがありました。

 

 その原動力は、近くの海体験だったんですね。伊勢湾だから、向こう岸が見えてたりするんですね。だから、そんなに大きさを感じないで、やさしい海だったんですね。