ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

一歩ずつ進めていきたい!

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 昨日は、県の教員採用試験の一次試験の合格発表でした。

 

 私のまわりにも、結果が気になる人たちがいて、みんなパソコンの前でハラハラしていたようです。

 

 9時過ぎに結果が提示されて、私の前にいた人は、3分の2の合格者の中に入れなかったと、ショックを受けていたようです。

 

 何しろ、今春に引っ越しをし、お子さんも生まれ、万全の備えをして試験に挑んだのに、それなのに結果は一次落ちだなんて!

 

 目の前が真っ暗になるだろうし、何を支えに生きていけばいいのか、もうわからなくなったことでしょう。やる気も出ないし、人が人を選んでいく難しさみたいなのを感じたことでしょう。

 

 いや、一次だから、点数が足りなかったのかもしれない。面接点での差はなかったのかもしれないです。

 

 だとしたら、もう少し点数が取れるように努力するしかないのかもしれません。まあ、その間に少しずつ自分の中で熟成が進むから、それはそれでいいことなのだけれど、やっている本人としては、落ち着かない不安定な身分のまま生きていくのが辛いでしょう。

 

 でも、何人もの教員がそういう道を進んでいます。簡単に合格してしまう人と、何度もくじけながらやっとたどり着けた人と、同じ教員でありながら、そういう人たちが混じり合って教員集団を作っています。

 

 苦労を知らないエリート(?)教員が、飲み会の席で、同い年の人に、

「黙れ、講師」と口走ってしまったことがあったそうですが、

それはいけないことだと私は思うのですが、

教諭と講師との間には、目に見えないカベみたいなのがあるのかもしれません。

 

 私は、大阪にいる間ずっと、いろいろな講師を経験して、月収8万という情けない時代も経験してきました。その経験が何かの役に立っているのか、たぶん、何の役にも立っていないけれど、それでも、「講師」という立場を蔑(さげす)まされたら、怒ってわめきだすか、黙って「もうこの人とはまともなつきあいができない」と思うか、どっちかだと思います。

 

 私は、目の前にいる人と一緒に一次通過を喜びたかったのに、それができなくて、もう黙り込んでしまいました。カラッと励ましてあげる人になりたいのに、声がかけられなかった。また、試験までの長い一年があるかと思うと気が遠くなりました。

 

 でも、それでも、目標に向かって、私たちは立ち向かわなくてはならない。目標は、人生の一部であって、すべてではありません。

 

 そこにたどり着いたら、今度は別のところに移動していかなくてはならない。いつかはたどり着けるし、そこに向かって地道な努力をするばかりです。

 

 ねっ、きっと大丈夫。少し勉強したらいいのだから!

 

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 昨日も暑い一日でした。今朝も暑いけれど、その中でどんなことができるかですね。せいぜいやれることをやりたいです。