ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

串本高校へ 1998年夏

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 1998年の夏、2回目の合宿をしました。3年生から1年生まで十数人で本州最南端の学校の串本高校に遠征に行きました。

 

 前の日は、勝浦温泉に泊まりました。みんなで温泉に泊まって、楽しかったなあ。みんなで一緒にお風呂に入りましたよ。今だったら、あんなことしないだろうけど。もうあんな日々は来ないかもしれないし、あの子らはみんな社会の中堅で頑張っていることでしょう。どうして人間って、年を取るんでしょうね。それが無常ということなのかな。

 

 三十代だった私が、もう中高年の仲間に入り、あとしばらくしたら、後期高齢者になるだろうし、そのあとこの世からいなくなるんですね。

 

 それは順番だから仕方のないことだけど、そうなると、本当に楽しい時にせいぜい楽しまなくちゃいけないわけですね。

 

 そう、あんまり楽しすぎてもダメだし、適当に苦痛を乗り越えながら、そこそこの楽しみをいろんなところに見つける、そういう見つけるセンスが必要です。楽しいことはあると思うのだけれど……。

 

 その串本高校、名前が変わっていました。新宮から串本に向かうJRで、チラッと見えた古座高校が真っ暗で、何だか人気がないなあと思ってましたが、潮岬に行く途中で串本高校の横をバスで通る時に、その謎が解明しました。

 

 串本高校と古座高校は串本高校の敷地内で、再編活性化ということで合併され、校名も串本古座高校になっていました。ああ、ここも日本国中で行われている再編活性化でした。

 

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 あの暑い日の試合、どこで氷を手に入れて、どんなふうに試合をしたのかなあ。まるで憶えていませんけど、二年生のキーパーがケガをして、私はご近所の病院に連れて行きました。顧問は私一人だったけれど、選手たちは自分たちで試合を終え、片づけをして会場を後にして、串本駅でみんなで待ち合わせしたんでした。

 

 みんないい子たちでした。なんだか懐かしいなあ。県内に住んでいると思うんだけど、彼ら・彼女ら(マネージャーたち)とめったに会うチャンスはないです。もうこのままずっと会わないのかな。まあ、それは分かりません。とにかく、あの夏、私たちは串本高校のグラウンドで練習試合をした。結果は0-2でそこそこはやれた。でも、そのあとの選手権の県予選、1つ勝てたかどうか。これも憶えていません。

 

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 あの子らは、せっかく串本まで来たのに、潮岬も見ないし、橋杭岩も見ないで、帰りはまたずっとJRでとことこと帰りました。途中で降りていく生徒たちもいたので、その度に車掌さんに、この子は団体切符なのですが、ここで下車しますと説明して、一人また一人と下ろしてもらいました。私たちは、紀勢線とともにあの夏の何日間か、過ごさせてもらったんでした。

 

 何も憶えていないけど、楽しかったという記憶だけがあります。