「故郷」について その2
★ 「故郷」とは何か? ということで、二人の作品を載せました。高1の二人、どんな思いで故郷を見ていたんでしょう。
そして、今は? 二人目の子は、作家志望でした。今何をしているんだろう。
◇ 変わってゆく「故郷」 ちひろ
私の家はJRの線路ぞいの道の横にあり、目の前には辺り一面田んぼがあるという風景である。小学校四年生まではトラックがよく通る道の脇にある団地に住んでいたので、新しい家の前の風景と交通量の少ない目の前の道に驚いた。目の前の道は寝そべっていても平気なくらいだったのだ。そして裏には池や竹林があり、とても自然環境がよい所であった。
そんな場所に住んでいたが、年月がたつにつれて、辺りの風景はどんどん変わっていった。まず、すぐ裏の竹林が切られ、私の家からでも池の水面が見えるようになった。そして近くの竹林も切られ、団地が建てられた。つい最近ではサニーロードを作るために、また竹林や森が切られ、田んぼも埋められた。
そんな様子を見ているとひどくさびしくなった。自然が好きな私は変わってしまったその場所を見ると、胸がギュッとつまるようで苦しくなる。祖父の家は都会にあり、家やビルがぎっしり建っている。私の家の周りもやがてそうなるのかと思うと本当に嫌である。これ以上変わってしまわないことを願うが、団地などが今どんどん増えている。私が大人になった頃はどうなっているのだろうか。
◇ 近くて遠い場所 まさゆき
墓が川辺から山中に移されていた。
松阪方面に下宿していた僕が一週間ぶりにあの自然だらけの町に帰ってから気付いたことである。何でも川辺だと、大雨などで墓が沈んでしまうか、墓石が倒されて散々な状態になるかららしい。そういえば、春休みの頃から墓の周辺が騒がしかったと思われる。また、両親がそのようなことを話題にしていた記憶もあった。
「一度、お参りしてこよう。」
家の中で寝ていた一匹の猫をいじめながら、そう思った。盆以外に近寄らない場所ではあったものの、何となくそういった感情をいだいていた。久々に家でくつろいでいたからだろうか。
時計は午後五時を示していた。結局、墓参りに行かないまま、家を後にする。どうせ、一週間後にまた来るのだと思い、そんなに罪悪感は感じなかった。近くて遠い場所……。故郷に対して思う。
まあ、そんなことはどうでもいい。いい加減な場所なのだ。