ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

孤独な時、ひかり

f:id:hakusangogo:20180408082959j:plain

 

 改めて読み返してみると、彼にそんな日々があったなんて、知ってたつもりだけど、忘れていたんですね。今の彼はあちらこちらを歩き回り、山に登ったり、あれこれ工夫の日々みたいです。

 運動は好きだったと思うけれど、そこまでアウトドア派になるとはビックリで、彼のフエイスブックなんて見させてもらったら、もうすごいなあと感心ばかりさせられます。

 その彼の幼少期、そんな辛いことがあったなんて! 学校の先生たちも頑張っていると思うんですけど、漏れてしまうことがいくつかあるんでしょう。

 人間の集団では、少なからず起こることではあるんだろうけど、なんとかしてやれなかったのか。もう悲しくなります。あまりに無力です。

 苦しんでいる子がいても、それは大人には見えない。子どもたち同士は黙ったまま静かに誰かをターゲットにして、本人が苦しんでいることなんかよりも、自分たちの論理を優先して、どんどん排除していく。ものすごく真面目にターゲットの苦しむ様子を見ている。

 どうしたらいいんでしょう。それに耐えろ! というのは無責任だし、親としては子どもの変化を見つめていく。何かあったら聞き出す。いつも子どものそばにいる。それしかないんだろうか。

 

*   忘れえぬ思い出                  Y・T

 私が小学生だった頃、私の存在は使い古しの雑巾よりもすさんだものだった。もしくは、その存在すらも消されていたのかもしれない。

 「見えない君」と名づけられた私は、透明人間になることを許された選ばれし人間だった。しかし、いくら体は消えても、服やランドセルまでは消えなかったんだろう。あからさまな通せんぼに暴力。まだ純粋だった幼い私の心は、その時をもって長く氷河期を迎えることになった。

 そんな私に、仏のような救いの手を差し伸べてくれる人はいなかった。そればかりか、人として基本である挨拶さえ誰もしてはくれなかった。「まったく親の顔が見たいわ」などと思う余裕もなかったのは事実である。

 たった一度の挨拶で救われた人を、あなたたちは見たことがあるだろうか。私が証明することができる。その後、私はいじめと戦うことができた。辛い日々であった。そして誰も助けてくれなかった。そればかりか、みんなは自分に降りかかる火の粉を恐れた。そして逃げた。

 その時、私はその女の子と何気ない挨拶を交わしていなかったら、ここには存在していないと思う。もちろん、彼女には深く感謝しているし、好きにもなった。その結果はともかく、幼少時代の甘酸っぱい素敵な初恋だった。

 かけがえのない出会いは、その後もたくさんあった。中学三年ではマブダチもできた。高校ではひたむきに頑張る人たちに出会い、たくさんの刺激を受けた。そんな素晴らしい出会いは、私にとっては生きる糧となるものだ。