ひかりかがよう

20世紀の終わりから21世紀の初めの若者たちのことばです!

Kくんのこと

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 参宮街道をたどって、宮川の渡しにあと少しというところ、有名なお餅やさんの本店があるあたり。そこに何度か家庭訪問したことがあります。

 

 学校に来れなくて、「どうしているの? 大丈夫なの? 何か問題があるの?」と訊きに行ったんでしたね。

 

 それから、しばらくすると、学校に来ることができたりしたんですが、またしばらくすると、来られなくなりました。

 

 何がいけなかったのか、今も分かりません。ひとりっこで、真面目で、お父さんもお母さんも熱心で、本人も行きたい気持ちはあったと思うんです。

 

 人間関係も悪くはなかったと思うんだけど、それでも来られなかった。1年生の後半からポツポツ休むようになり、どうにか2年生になり、そこからはかなり大幅に休むことが続きました。

 

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 夏を越え、秋の文化祭も乗り切り、あとは3年生、いよいよ締めくくりというところ、そこでお父さんの仕事の関係で滋賀県に引っ越しすることが決まり、仕方がないので転校の手続きをして、書類などを持って滋賀県の学校にお願いに行ったことがありました。

 

 2月ごろでした。

 

 そして、転校して、そこから連絡は途絶えてしまいました。というか、私に連絡手段がなかった。そのころに、ちゃんとケータイ電話でも持っていれば、あれこれとつながるようにしたと思うのですが、私のことだから、それもどうだったのか、わかりません。

 

 若者は、学校は好きなんだけど、どうしても来られない時があります。どうして来られないのか、それはわからないけれど、若者にとっていろいろな理由があると思われますが、行けないのなら、行かなくていいと私なんかは思ってしまいます。

 

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 でも、学校を拒否するということは、社会を拒否することになりやすく、社会を拒否するということは、お仕事ができなくなる可能性もあるので、本人が何かをやりたいという気持ちになるまで、ものすごく大変な、自分の道が見つからない苦しいところを歩くことになるので、世の中の冷たさ・厳しさを乗り越えにくくなります。

 

 Kくんはどうしているんだろう。元気でいるとは思うけれど、実際には何をしているのか、連絡手段もない私は、ただ祈るばかりです。

 

 お父さんも、お母さんもとても優しいし、情熱的でした。彼もその優しさを受け継ぎ、いろんなところに気働きのできる人だったと思います。

 

 どうしているんだろう?

 

 彼のおうちに行かせてもらって、手作りのチャオズを袋にたくさんもらったことがありました。キャベツ入りで、新食感だったのに、食べきれないこともありました。冷凍して少しずつ食べればよかった。

 

 いつか会いたいけれど、もう会うチャンスはないだろうな。それが人生というものですね。会いたいと思った時に、最大限に会って話して、何もかも気持ちを尽くして話しておかなければ、そうすれば、少しは気持ちも通じると思うんだけど、それがちゃんとできていたのか、今さらながら気になります。

 

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